8月8日(月)、福岡の西南学院大学で開かれた神学部と宣教研究所の共催セミナーに参加した後、9日夜、長崎の活水女子大学で催された「被爆60年・原爆記念礼拝」と、翌10日、長崎古町教会(教団)で行われた「被爆60年 牧師・信徒合同特別研修会−魂への配慮−」に参加した。いずれも、長崎キリスト教協議会の主催で、講師は加藤常昭先生だった。礼拝での宣教題は「平和の人は霊の人」で、聖書個所はイザヤ63:16〜19とガラテヤ5:22〜25だった。イザヤ書のこの個所は、不信の罪の中にあるイスラエルを、神に執り成す預言者の祈りの言葉である。そこでは、新共同訳で読まれたが、口語訳では1,036ページ、「どうか、天から見おろし、その聖なる栄光あるすみかからごらんください。あなたの熱心と大能とはどこにありますか。……主よ、なぜ、われわれをあなたの道から離れ迷わせ、われわれの心をかたくなにして、あなたを恐れないようにされるのですか。……われわれはあなたによって、いにしえから治められない者のようになり、あなたの名をもって、となえられない者のようになりました。(新共同訳では、64章1節が、63章19節に入っているので)どうか、あなたが天を裂いて下り、あなたの前に山々が震い動くように。」という言葉が続く。この時の預言者の現実の苦しみ,未来への不安の予感は今に通じるものがある。加藤先生は終戦の直前まで、学徒動員で軍需工場の労働にかり出されていた。空爆は勿論、低空飛行での機銃掃射にもあった。その時、操縦士の顔をはっきり見たという話もされた。戦争というのは、人を物にしてしまうところがある。先週16日の火曜夜から(11時〜11時45分)NHKテレビで5回に亘って「アウシュビッツ」が放映された。人としての感覚や想像力があれば考えられない行為である。
やがて、日本は終戦を迎え、先生は大学と神学校での学びを終えて、金沢の教会に赴任されるが、しばらくして、日本がアメリカと安保条約を結ぶことになり、それはまた戦争につながるとして,学生を中心に市民を挙げての猛烈な反対運動が、全国各地に広がった。1960年、私がこの教会に赴任して間もなくのことだった。既に天に召された仁科さんたちとデモに加わって、名古屋の街を歩いたのを覚えている。その時、加藤先生は、金沢の反安保市民集会で、特に牧師として発言を求められ、「この戦いは長く続く。しかし私たちは、忍耐をもって、折角与えられた平和憲法をしっかり守っていかなければならない。」ということを言ったが、今も戦後は終っていない。また同じような状況が起こっているような気がすると語られた。このような危機の中を、私たちはどのように生きたらいいのかということである。
先程読んで頂いたエペソ人への手紙に戻ると、14節に、「キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、……」とある。「中垣」というのは、当時エルサレム神殿の中に、礼拝に来るユダヤ人と、異邦人を分けるために設けられていた、高さ1メートル半の石の仕切りのことである。異邦人は、異邦人であるということで、この仕切りから中に入ることは許されなかった。しかし、この壁は只、民族の違いだけでなく、私たちの中にもさまざまなかたちで存在する。勿論、持って生まれた性格もあるが、育った環境の違い、好みや能力の違いによって、微妙な隔ての心を人はそれぞれに持っている。人間というのは、どんなに科学が進んでも、やはり罪の働く生き物としての古い根―自己中心性や排他性というものを内に持っている。「敵意」というのは、「敵」そのものではなく、敵をつくる心、相手を「敵視する心」のことである。ここに(キリストは)「彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。」(15,16)とある。敵意がきわめて自己中心的な性格を持っていることを考えると、ピリピ2:6〜8の言葉を思い起こすのである。キリストは、自分と異なるものとして私たちを見ないで、「神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、……おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。」キリストは、この肉の人の世に来られ、神への従順に生き抜いて下さったことで、私たちに、神を畏れ、敬い、その御名を讃美することにおいて一つになる道を拓いて下さったのである。
誰が作ったのか、何日の新聞であったか思い出せないが、「8月や6日9日15日」という句に接し、あまりの分かり易さに感心した。私がこの句を口にすると、「それは何か。」とある人が聞いた。6日は広島に、9日は長崎に原爆が投下された日であり、15日は、日本の敗戦が、天皇の声をもって、国民に告げられた記念の日である。
16日(火)、朝日新聞の「天声人語」に、安達大成(だいなり)さんという、中国での日本人戦争孤児の話が紹介されていた。戦争が終ったことを知らされた12歳の時から、彼は戦争というものを実際に体験することになる。ソ連軍の侵攻から逃れる途中、三番目の弟は飢えのために、母親の背に負われたまま死に、彼は自分さえいなければ母と弟が助かるだろうと思って、二人の前から姿を消した。それが長い別れとなった。文章はまだ続くが、親から離れて行く彼の気持ちもさることながら、姿を消した息子のことを思う母親の気持ちはどんなであっただろうか。大成さんのお母さんと弟の消息は全く分からないとあった。戦争というのは、直接には関わりのない多くの人々の、語られないままの苦しみや悲しみを、あまりにも沢山下敷きにしていることを思わされる。それを、今日の日本の繁栄は、先の戦争で亡くなった人たちの尊い犠牲の上に成り立っているなどという言い方で、簡単に人のいのち、死の意味づけをしたり、戦争そのものがそれに価するかのような言い方は、相手国の同じ境遇に置かれた人たちのことを考えても口にすべきではないように思う。
私たちが、いつまでも神を知らないでいるということは、本当の意味で畏れを知らないということであり、自分でそれを意識する、しないにかかわらず、容易に他に対して、敵意という見えない隔ての壁を自らの内につくることになる。私たちはキリストが私たちの罪のために、その購いとして十字架にかかられたという事実、そして、その背後に、私たち一人ひとりに対する「新しいいのちに生きよ」という神の御心があることを思いたい。「キリストからの平和」ということは、まことの神を知るということである。私たちは、「キリストからの平和」を身に受けた者として、生きていきたく思う。