今日の箇所は、復活のイエスに出会って変えられたパウロが、イエス・キリストの出来事(福音)を、広く人々に伝えようとして企てた第3回目の伝道旅行で、エペソという町にやってきた時のことである。エペソは当時、ローマ帝国の支配するアジヤ州の中でも古くから栄えた都市であった。港には交易のための大きな船が絶えず出入りしていた。陸路においても交通の要になっていて、物だけでなく人の交流も盛んで、文化的にも栄えていた。
また、さまざまな宗教が混在し、魔術も盛んであった。特に町の中にアルテミスという女神を祭った大きな神殿があって、周辺地域に多大な影響を及ぼしていた。今は、一本の柱が立っているだけであるが、当時は広大な敷地(129m×73m)に、13の階段をもった大理石の、奥行き103m 間口43mの建物が建っていた。パウロがこのエペソを訪れたのは紀元53年、主イエスの死後20年程たった時のことである。彼はここに3年間滞在した。
今日の教会学校での学びが1節からになっているので、前半の部分にも少しふれておくと、19章の始めに「パウロは奥地を通ってエペソにきた。そして、ある弟子たちに出会った。」とある。パウロは彼らに「あなたがたは、信仰にはいった時に、聖霊を受けたのか」と尋ねた。どうしてこのような質問をしたのか考えると、何か違うものを彼らに感じたということではないか。その時、彼らから返ってきた答は、「いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません」ということだった。
「では、だれの名によってバプテスマを受けたのか」と聞くと、彼らは「ヨハネの名によるバプテスマを受けました」と答えた。バプテスマというのは、先週、ジョン、ジャウォンさんが信仰告白をして受けられた、あのイエス・キリストの御名による(御名への)バプテスマ(浸礼とも言う)のことである。ヨハネというのは、バプテスマのヨハネ(マタイ3:1他)のことで、彼は神のさばきに備えて、人々に悔い改めを迫り、そのしるしとしてのバプテスマを施していた。
従ってヨハネのバプテスマというのは、神のさばきに対する恐れの気持ちから出た悔い改めが主になっていたと思われる。当時はそうしたヨハネの運動から導かれてバプテスマを受けた人たちが多くいたようである。パウロがエペソで出会った「ある弟子たち」というのも、そうした人たちの一派であったと考えられる。しかし、パウロからすれば、彼らの信仰というのは、どこか人のわざが主になっているように思われた。どんなに熱心でも、ただ人から出てくる熱心と、神の力に押し出されて、そこから出てくる熱心との間には、やはり違ったものがある。
パウロはこの辺りの違いを感じとったということではないか。私たちにとっては、ある意味でむつかしいところである。主によって用いられているのに、自分が何かやっているような、あるいは、やらなければならないといったかたちになってくる。ここらが言葉では説明のむつかしいところである。当然、いろんな言葉のやりとりがあったと思われるが、5節を見ると、彼らはパウロの言葉を聞いて、改めてイエスの名によるバプテスマを受けたことが記されている。
また18節からのところには、魔術に囚われていた人たちが、その縛りを解かれて、信仰へと導かれたことが書かれている。町にはアルテミスを信仰している人たちがあちこちから集まってきていた。道端には沢山の店が並んで大変な賑わいであったことが想像される。中には今で言う観光目的や祭りを見にくるといった人たちもいたであろう。これはその様な時期のことである。
ここにデメテリオという人がいて、パウロのことが気になりだした。「このままにしていたら自分たちの生活がおびやかされる。そればかりか、大女神アルテミスの名も軽んじられてしまうことになる。」という彼の言葉に刺激されて、人々は騒ぎ始めた。28節に「これを聞くと人々は怒りに燃え、大声で『大いなるかな、エペソ人のアルテミス』と叫びつづけた。アルテミスというのは、ギリシヤにもある収穫・出産の「豊饒(ほうじょう)」の女神である。
しかし、エペソのアルテミス像は、その地方に古くから伝わっていた他の宗教と混って、からだ全体に沢山の乳房をつけた大変グロテスクな格好をしている。この女神信仰には根強いものがあった。想像を働かせると、この「人々」というのは、デメテリオのように直接、利害に関係のある人たちばかりではなかったと思われる。人というのは、何か一寸したきっかけで、自分の思うようにならない現実に対して日頃から内に持っている不満、ため込んだエネルギーを発散させようとするところがある。
加えて、今まで何の気なしに過ごしてきた生活が、こういうことで改めて問いかけられる、あるいは脅かされる、否応なしに新しい何かに立ち向かわされるということに対して警戒したり、構えたり、反感を持ったりする。この場合も、最初の動機が、自分の生活を脅かされるのは許せないとか、あるいは、アルテミスを守れ、もっと仲間をつくれというようなところで集まった群衆であるから、最初からはっきりした目的があるわけではない。互いに叫びあっているうちに、自分たちは一体何のためにそうしているのか分からない人たちも多くいたのではないか。
32、34節を見ると、こんな状態が2時間ばかり続いた、と記されている。ここでは、市の書記役が群衆を、道筋を立てて納得させたが、彼もまた騒ぎを起こされたら困るという立場にあった。そうした中で、彼は群衆を静めるのに最も適切な言葉を用いた。つまり、「アルテミスの力と素晴らしさを知らない者はいない。果して一人でもいるだろうか」という言い方で、まず群衆の心を引き付け、その上で、デメテリオをはじめとして、みんなの言い分の通るような方法があるので、と言って人々を納得させた。ある意味で、書記役の筋道の立て方は見事である。群衆は静まって解散し、ことはうまく治まったように記されている。
ところで彼はここで「大女神アルテミスと、天くだった御神体」という言い方をしている。「天くだった」というのは、直訳すると、「天から落ちた」ということである。丁度、隕石か何か、上から落ちてきたものを御神体として祭ったものであるということになる。ある本に、浅草の観音様の本尊が、漁師の網に掛かった一寸八分の仏像だとあったが、しかし、もしみんなのお参りしているお寺、そこに祭られているのが、誰かの刻んだ人差し指程の仏像であって、後は人の手で作り上げた習慣のものだと、もし言われたとしたら、本当はそうかと受けとめるよりも、むしろ、そう言われることに対して、反感を抱くのではないか。真実それが正しいものかどうかということよりも、生活の中で一度それが習慣として根付いてしまうと、それはやはり必要なもの、無くなっては困るということになってしまう。そういうところで続いているお祭りや行事というのは、以外と多いのではないか。
そして、それはそれで許されていくし、また小さい子どもたちが、親に連れられてそこにお参りする、神輿(みこし)をかつぐというふうに自然になじんでいく。ここで、パウロは、アルテミスになじんでいる人たちに対して、市の書記役が語っているように、特に何かをしたわけではない。パウロはただ、人々に生けるまことの神について語っただけである。しかし、そのことが、こうした騒動を引き起こすことにつながった。
これは単に「エペソの町でのこと」ではなくて、私たちの身近かなところで、しかも常に起きることである。人は家庭という単位、あるいは自分と他との関係においても、自分の思いや感情を中心に考えていく時、訳が分からなくなっていくところがある。聖書のいう罪は、神のみ心から、その関係からはずれて生きるところから生じる。
私たちは、いつも在るべき位置に私たちを立ち返らせてくれるものを与えられている。それが福音である。アルテミスの神殿のあるエペソの住民のようにでなく、福音に生きる者、「この道」に生きる者として、これからの日々を歩んでいきたく思う。
これは、決して片寄った生き方、考え方の持ち主になるということではない。むしろ全人格的に、私たちがあるべき姿に導かれていくということである。御子イエス・キリストが、私たちのところに来て下さったのは、まさにそういう在り方において、私たちがさまざまなこの世の力から解き放たれて、神のものとして自由にされていくためである。