今読んで頂いた聖書の箇所から是非ここをポイントにと思ったのが、2節の「肉における残りの生涯を」という言葉である。この「残りの生涯を」という言葉を聞いて、それなりの思いを抱かれるのは、自分の年を数えられる、ある程度年輩の方ではないか。辞書で「年」(とし)のところを見ると、まず説明として「(一毛作の所で)稲が実ってから次にまた稲が実るまでの間、一年」とあり、次に、「その人が生まれてから現在までの時間を『年』で数えたもの、年令」とある。(新明解国語辞典)。
「年を取る」という言い方がある。言葉の本来の意味は、誕生日が来て更に一つを加えるということだから、これは誰にでも言えることであるが、この言葉は、若い人にはあまり使われない。人生の半ばを越えた人が、自らの老いの自覚を形容して言う言葉である。しかしここで、著者が「残りの生涯を」という時、それは必ずしも、年を多く重ねた人たちに言っている訳ではない。
むしろ、この手紙は、信仰を告白してバプテスマを受けて間もない人たちのことを年頭に書かれたものである。日本語には、人の生涯を4つに分けて、幼少期、青年期、壮年期、老年期という言い方があるが、聖書にはもともとそういう考え方はない。例えば「壮年」という言葉が出てくるのは、旧約(口語訳)の2ケ所のみ。その一つがイザヤ40:30で、「年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。・・・・」である。
「年若い者」と訳された言葉は、原語では幼な子、子ども、少年、若者を意味し、「壮年」も選り抜きの者、若い男子のことである。いずれ弱り疲れはてる人の若さや勢いが、ここでは「主を待ち望む者」との対比で語られている。聖書の記者の関心は、その人の年令や状態よりも、神との関係においてどうかということである。「肉における残りの生涯」というのも、残り少なくなったいのちの時を言っているのではない。ここは年令に関係なく、イエスを主と信じ告白した者が、その後の時をどう生きるかについて語っているのである。
このことは、新約聖書の中で、かなりの部分を占めるパウロの手紙についても言うことができる。新約聖書には、時を表す代表的な言葉(ギリシャ語)が二つある。一つは時の長さ(時間、期間、時期、時代等)を表すクロノスであり、もう一つは、特定の時(定められた時、瞬間、機会等)を表すカイロスである。そして「残された生涯」も「過ぎ去った時代」もクロノス(期間)が用いられている。
私たちにとって大切なのは、この残された期間をどう生きるかということである。1節に「キリストは肉において苦しまれたのであるから、あなたがたも同じ覚悟で心の武装をしなさい」とある。「同じ覚悟」と言うのは、同じ考え方、感じ方、同じ心構えで、ということである。そこに立つことが心の武装をすることだと言われている。しかし信仰生活というのは、その浮き沈みも含めて、決して平坦なものではない。むしろキリストにある者としての覚悟を日々新たにすることにおいて続けられていく、ということである。この武装ということについては、パウロがエペソ人への手紙6章に「救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言葉を取りなさい。」(17前後)と記している。私たちは、神から導かれた者として、自らを守っていく責任がある。自信過剰と無防備は大敵である。
これは「欲情」の部類に入るが、ある兄弟が一寸したきっかけで一人の女性が好きになった。女性は一時的な家出をし、彼のもとに電話をかけてきた。心配する彼に「バカね!」と母親が子どもに言うようなやさしさで言った時、そのひと言が、彼の心をどうしょうもなく燃え上がらせたそうである。彼は治まりのつかない体のまま、車をぶっ飛ばし、日本海に出て、海に飛び込んだ。折しも台風の前で、彼は何度も高波をかぶり、海の底に引き込まれて、息が出来なくなった。その時、形容しがたい、聖書の言葉が、彼を海の表面に浮かび上がらせたそうである。どういう言葉であったか、思い出せないままであるが、「いのちはお前のものではない」という意味だったそうである。
バークレーという神学者が私たちに大切な言葉を贈ってくれている。それは「キリスト者は歴史の中では神のために、永遠にあっては、神と共に生きるために選ばれた」という言葉である。
こうして、一つ会堂に集まっているということも、神のみこころの中にある、ということである。私たちは、特別な選びの中にあるということを覚えて欲しい。主イエス・キリストは「わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない」(ヨハネ6:44)と言われた。「引き寄せる」というのは、逆に働く力に抗してという強い意味を持った言葉である。私たちには、そうした自覚はないかも知れないが、こうして共に礼拝に与かっているということは、主イエスの語られた「父のひきよせ」をそれぞれに頂いているということである。このことを大切に思って欲しい。