わたしにあるもの

1さて、ペテロとヨハネとが、午後3時の祈りのときに宮に上ろうとしていると、 2生れながら足のきかない男が、かかえられてきた。この男は、宮もうでに来る人々に施しをこうため、毎日、「美しの門」と呼ばれる宮の門のところに、置かれていた者である。 3彼は、ペテロとヨハネとが、宮にはいって行こうとしているのを見て、施しをこうた。 4ペテロとヨハネとは彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。 5彼は何かもらえるのだろうと期待して、ふたりに注目していると、 6ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。 7こう言って彼の右手を取って起してやると、足と、くるぶしとが、立ちどころに強くなって、 8踊りあがって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神をさんびしながら、彼らと共に宮にはいって行った。 9民衆はみな、彼が歩き回り、また神をさんびしているのを見、 10これが宮の「美しの門」のそばにすわって、施しをこうていた者であると知り、彼の身に起ったことについて、驚き怪しんだ。
使徒行伝 3:1-10

教会学校では先週から使徒行伝に入った。著者は「ルカの福音書」を記したルカである。つまり、彼は「福音書」の続編として、「使徒行伝」を書いたことになる。いずれも、テオピロという個人に献げられたものである。ルカがどのようにして信仰に導かれたのかは明らかでないが、彼はパウロの弟子で、医者だった。

パウロはその手紙の中で、彼のことを「愛する医者ルカ」(コロサイ4:14)、また「同労者」(ピレモン24)と呼び、テモテへの手紙(U4:11)には、「ただルカだけが、わたしのもとにいる」と記している。それに、聖書の記者は皆ユダヤ人であるのに、ルカだけは、シリヤ・アンテオケ出身のギリシャ人で、ユダヤ人からすれば異邦人である。マタイとルカは、それぞれの福音書の中で、系図を用いている。

マタイが、「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図」(1:1)として、アブラハムから書き起こしているのに対し、ルカは「アダム、そして神にいたる」(3:38)と記している。つまり、アダムまでさかのぼって書いたということは、ルカが、イエス・キリストの出来事を、すべての人にかかわることとして、それを意識して書いたと思われる。

ルカがその福音書で伝えようとしたイエスは、まさに「異邦人を照らす啓示の光」(2:32)、「すべての民に与えられる大きな喜び」(2:10)であり、「人はみな神の救いを見るであろう」(3:6)と言われるものであった。

先程読んでいただいた3:1〜10は、非常によく知られた箇所である。生まれつき足のきかない一人の男が、ペテロとヨハネに出会い、そこでなえた足が癒されたという記事である。ここで何よりも私たちの心を打つのは、ペテロの「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」(6)という言葉である。聖書教育には、この箇所で寸劇をやってみてはどうかとあったが、私たちが今このような光景を見ることは殆んどない。

そこで、まずこの男の身になって想像してみると、彼は毎日人にかかえられて(新共同訳・新改訳では「運ばれて」)、宮の門の傍らに置かれていた。4:22に「40才あまりの人であった」とある。彼にとっては、施しを乞うことと共に、自分の目の前を行き交う人々を見ることが、唯一の与えられた変化ではなかったか。彼はペテロとヨハネの二人がイエスの弟子であることを知っていたかどうか分からないが、彼にとってそのことは別に大して意味のないことであった。

彼にとってこの二人は、宮詣でに来る多くの人たちと同じ施しを乞う対象でしかなかった。また、宮詣でに来る人たちにとって、彼は、単に物乞いをして生きている、哀れな存在でしかなかったと思われる。「彼は、ペテロとヨハネとが、宮にはいっていこうとしているのを見て、施しをこうた」(3)とある。ここに「見る」という言葉が4回出てくる。しかも、日本語の訳では区別がはっきりしないが、原語のギリシャ語では、4つとも違った言葉が用いられている。

先ず「ペテロとヨハネとが、宮にはいって行こうとしているのを見て」という場合の「見る」という動作は、たまたま目に映った、ということである。次に「ペテロとヨハネとは彼をじっと見て・・・・」の「じっと見て」という言葉は、目をそらさないで見る、凝視する、ということであり、ペテロとヨハネとが「わたしたちを見なさい」と言った、この場合の「見なさい」は「注意して見なさい」ということである。恐らく彼はびっくりしたのではないか。見たところ、お金を持っているようにも見えなかったが、しかし、このように声をかけてくれる人は今までにいなかった。

彼は何かもらえるのではないかと期待して、二人に「注目していた」。「注目する」というのは、観察をする、注意をこらして見るということである。その彼にペテロが言った。「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。こう言って彼の右手を取って起こしてやると、足と、くるぶしとが、立ちどころに強くなって、踊りあがって立ち、歩き出した、とある。

宣教題を「わたしにあるもの」としたのは、一つにそれぞれ一人一人が、「わたしにあるもの」について、是非向かい合ってみていただきたいと思ったからである。

24日の婦人会の清掃の後の懇談の時に、ひとりの姉妹が、私は他の人とくらべてあまり奉仕が出来ないということをいつも苦にしていたが、ある時ふっと、でもそのことの前に先ず神さまを感謝することが先ではないか、ということを思って、それはヨハネ15章11節に記されている「わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。」の御言葉からであると言われ、また、テキストの一つとなったヨハネ第一の手紙の「わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。

これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためである。」(1:3〜4)の箇所が重なっていることを嬉しく思うと言われた。このことを聞いて、私たちの心を一つの箱にたとえたら、そこには何がいつも入っているのだろうか、ということを思った。

先日亡くなられた吉田正代さんの葬儀の後、身内の方たちを中心に、故人を偲ぶ食事の席が用意され、私もお招きを受けたが、その席で、三重在住のいとこの方が、自分は正代さんと姉妹のようにして育ったが、(正代さんの少女時代の想い出として)、正代姉さんにはいつも特別に大切にしている箱があって、とても大切にしているので、一度その中を見てみたいと思い続けていた。

ある時、念願がかなって見せてもらったら、そこには竹久夢二の絵がたくさん入っていたと語られたのが、強く印象に残った。箱ということから心の中を覗いてみると、私たちの心の中にはどんな思いが詰まっているだろうか。よく聞く話の一つに、親が自分よりも、自分の兄弟を、あるいは姉妹を愛したという感情である。彼が男だからとか、彼女は自分より出来がいいからとか、自分で自分を納得させても、自分の気持ちから自由になれないという、かなしいしこりのようなものである。

これ以外にもっと悲惨な事実、何故自分が、あるいは自分の家族が、民族がと言った事柄が世界にはたくさんある。パレットに染み込んだ絵の具を無理に削り取ろうとすると、パレット自体を傷めて、使えなくしてしまうことになるが、そうした感情から逃れられない人はたくさんいる。先程、ルカはイエス・キリストの系図を記すのに、アダムにまでさかのぼっていると言ったが、彼は、「自分たちは、アブラハムの子孫」という、ユダヤ人の民族意識のプライドに押しつぶされずに、神は異邦人の神でもあるという信仰の確信を公にした。

聖書の中に、主イエスのみ言葉として、「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくないにも、雨を降らして下さる」(マタイ5:45)とあるが、大切なことはこの天の父のもとで、子とされた私たちが、どう生きるかということである。

ここに集まっている私たちの多くは、既にイエスを自らの主と信じ、告白した者、「イエス・キリストの名によって」生きる恵みと力を頂いた者である。しかし、私たちは今、何によって、立っているのか。ペテロが私には何もない。しかし、私にあるものをあげようと語った。あのイエス・キリストの名によって、その「名の中に」(原文)立っているだろうか。むしろ、その言葉を先ず頂かなければならないのは、私たち一人一人ではないかという思いがする。

この言葉は、自分を支えるものは何もないと思っている人にも、豊かに向けられた神の御思いのあることを、またどんな状況に置かれた者をも癒し、立ち上がらせる力のあることを示している。この「イエス・キリストの名」を、「わたしにあるもの」として、それを伝える者に、一人一人なっていただきたいと願うのである。

1998年4月26日(日)主日礼拝宣教要旨

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